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おはよう、セカイ。
Any sufficiently advanced technology is indistinguishable from magic.
そう言葉を残したのは、『2001年宇宙の旅』の原作者としても知られるSF作家、アーサー・C・クラークだ。
現代のテクノロジーは、目覚ましい進化を遂げている。生成AIに数行の文章を投げるだけで、まるで人間が書いたかのような返答が返ってくる。音声は自然で絵はプロ顔負け、動画すら自動で作られる。
“それっぽい”を超え、“もはや人間と区別がつかない”領域にまで迫りつつある。
気づけば、僕らの生活はスマホなしでは成り立たなくなった。
この小さな板の中に、情報、娯楽、買い物、そして人間関係さえも収まっている。
「十分に発達した」とまでは言えないにしても、これらの技術は我々の生活の“前提”だ。そして、それは確かにとても便利で、使わない生活を想像できない。
けれど我々は、その便利さと引き換えに、自由や幸せを本当に手にできているだろうか?
20世紀を代表する社会心理学者・哲学者であるエーリッヒ・フロムは、著書『自由からの逃走』の中でこう綴った。
たしかに、自由は不安をともなう。選択肢が多すぎると人は疲れ、誰かに決めてもらいたくなる。
その“誰か”が、いまはアルゴリズムであり、AIであり、巨大なプラットフォームなのかもしれない。
私が知る限りでも、ディストピアはすでに多くの物語の中で描かれてきた。
『1984』の監視社会、AIの暴走、パンデミック、ネット中毒、孤独、同調圧力……
どれも架空の話のようで、いまこの現実と紙一重の距離にある。
そして、現実に存在する監視国家の制度や、あからさまな情報統制の存在も、
恐ろしいほどにディストピア的な構造をしていると言えるのではないだろうか。
もしかしたら、現代の構造化された社会は、江戸の町人から見れば、我々とは違っのディストピアに見えているかもしれない。
技術進化が、今までと同じく我々の社会を変えていくのだとすれば、「これからの技術がどんな社会をつくっているのか」を観察することは、僕らにとって不可欠な営みだ。
確かな未来を予測することは難しい。というか不可能だ。
でも、「こうなるかもしれない未来」に備えて、想像したり、議論したりすることはできる。
そして、それは人間に与えられた特権で、自由だ。
星が綺麗なのは、宇宙という暗い真っ黒なキャンバスに、一つ一つの輝く光があるからだ。
だから我々は『ディストピア』という真っ黒な未来を真剣に見つめて、その中に輝く一つ一つの光を探していきたい。
それが「ディストピア研究所」の出発点だ。
我々の研究が、これからの輝かしい未来に寄与することを、とても楽しみにしている。
さよなら、セカイ。